間伐材について多くの日本人が間違えているたったひとつのこと 間伐材=低品質ではない
「この商品って西粟倉村の間伐材を使っているんですよね?」
お客さまにこんな質問をいただくことが多くあります。
この質問の裏には、間伐材を利用することが森林の保全につながることであったり、曲がったり節が多かったり利用価値の小さい、もしくは使われずに捨てられてしまう(と思われがちな)間伐材を有効活用している、といった製品裏にある背景や物語を知りたいという気持ちがあります。
ただモノとして良いと感じた製品を購入するのではなくて、その製品がつくられるまでの理念や背景を知り、モノの裏にあるストーリーに共感することによって購買意欲がいっそう高まるということです。
そして、そういった商品を手に取りたいと思えることは本当に素晴らしいことだと思います。
ただ、気がかりなのは間伐材という言葉が取り違えて認識されているのではないかということです。
間伐材=低品質ではありません
間伐材は木材の品質をあらわす言葉ではありません。
間伐とは、山全体や樹木の生育を促すことを目的とした、木々を間引く伐採方法のひとつでしかありません。
山に生えた木を伐る方法の話でしかないのです。
「間伐の定義とは…」なんて大それたことを言える立場ではありませんし、たいした知識も経験も持っていないのですが、材木屋として日々働いていると、どうしても間伐材という言葉が、世間から浮足立ったもののように感じてしまいます。
杭にすら加工できないような小径木だって、立派な横架材が挽けるような中目材だって、間伐目的で山から伐り出されたならば、それはまぎれもなく間伐材です。
例えば、一定区画内の樹木をすべて伐採するような皆伐がなされた山から出てくる丸太と見た目も品質もなんら変わりません。
人工林を育てていく過程で、間伐作業は必要です。
間伐の中にも下層間伐、優勢木間伐、列状間伐などさまざまな方法があります。
もちろん、山からは品質の悪い木もあれば良い木も出てきます。
間伐材だから品質が悪いとか、間伐材だから小さい・曲がっている・節が多いとか、間伐材だから利用価値がない、というわけではないのです。
節がある木は本当に価値が低いのか
仕事柄、お客さまに私たちの工場をご案内することが多々あります。
西粟倉村の山々や丸太が集められた土場、そして木材加工工場と、木が生えているところから木製品になるまでの一連の流れをお客さまに見学していただきます。
そして最後に、工場の製造過程で発生した端材をプレゼントすることがあります。
「ここにある木材なら好きなもの持って帰ってもらっても大丈夫ですよ」と。
キラキラと目を輝かせて喜んでくれます。
「わぁ、いい香りがする」
「この端材で棚をつくってみます」
持って帰れないほどの木材をカバンや車に詰め込む様子を見るのが密かな楽しみです。
不思議なことに、たいていのお客さんは材木屋からすれば価値の低い木材を持って帰ることが多くあります。
節が極端に大きかったり、変な形の穴が空いていたり、色味が濃かったりするものなどがそう。
「こちらの木の方が高価ですよ」と伝えてもお客さんは嬉しそうに「こっちの方が木っぽくて可愛いから好きです」と言うのです。
私たちが強く認識せねばならない重要な事実です。
- 節がある木は価値が低い
- 色味の悪い木はB品
こういった価値観はいったい誰が決めたのでしょうか?
林業や木材業に関わる私たちが自らそう思い込んでしまっているだけなのかもしれません。
私たちが製造する製品の中には、節のある商品がたくさんあります。節とは枝の跡です。
枝がない木はないように、節があることは木材にとって当たり前のことなんです。
だから、私たちは木に関する当たり前を、お客さまに当たり前に提案したいと思っています。
間伐材を使った製品なので買ってくださいとは言いたくありません
間伐材の有効活用は“目的”ではなくて、あくまで“手段”の話。
だから私たちは間伐材を使った製品なので買ってくださいとは言いません。
純粋に品質の高い製品を世に提案し、お客さまに信頼される材木屋でありたいと強く思います。
間伐材を有効活用することを目的とするのではなくて、木1本1本の価値を高くすることが必要だと感じています。そう、えぇ木もわるい木もぜんぶ。
丸太1本の価値が高くなる製品をたくさん作り、たくさん売ること。これに尽きます。
立米単価の高い商品づくりを目指すのではなくて、いかに木1本を、丸太1本をお金に変えることができるか。
私たちはモノづくりを通して、森づくりの時間を届けていきたいと思っています。